静岡大学東部サテライトだより

静岡大学東部サテライト「三余塾」の記録・お知らせ

20261005第5回「伊豆歴史文化大学」開催報告

10月5日、令和8年度静岡大学東部サテライト連続講座「伊豆歴史文化大学」第5回(最終回)を開催しました。

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今回のテーマは「伊豆の海と災害」

講師:
・小山真人先生(静岡大学名誉教授、静岡大学防災総合センター客員教授)
 「ディアナ号の津波被災とその後の軌跡」
・金子浩之先生(立正大学文学部)
 「伊豆の造船と海難事故の歴史」

小山先生からは、1854年の安政東海地震による津波で被災したロシア軍艦ディアナ号について、その後の経緯を中心にお話しいただきました。

ディアナ号は津波で被災した後、修理のため戸田へ向かいましたが、強風により現在の富士市宮島沖に漂着。その後、戸田への曳航が試みられたものの、荒天のため沈没しました。また、ディアナ号の乗組員が戸田で建造した「ヘダ号」について、建造開始から出航に至るまでの経緯も紹介されました。

金子先生からは、伊豆の造船や海上交通、海難事故の歴史について、さまざまな史料をもとにお話しいただきました。

伊豆国の船舶について、廻船207艘、天当船457艘、艀船146艘、合計749艘という記録を紹介し、江戸時代の伊豆における海上交通の実態について解説されました。また、金子先生が集計した江戸時代の海難事故は355件に及び、遠州灘、伊豆南部、相模灘などで発生した海難や、滞船中の事故、元禄地震・宝永地震による津波での船舶被害などについても紹介されました。

今回も対面・オンラインあわせて多くの皆さまにご参加いただき、皆さま講師の話に熱心に耳を傾けていました。

5月に開講した「伊豆歴史文化大学」は、今回で全5回の講座を終了しました。

「伊豆の鉱山」「伊豆の温泉」「伊豆の特産物」「伊豆の大地とアート」「伊豆の海と災害」と、さまざまなテーマを取り上げ、伊豆の歴史や自然、文化について学んできました。

今年度も、対面・オンラインあわせて多くの皆さまにご参加いただきました。
ご参加いただいた皆さま、そして各回で講演いただいた講師の先生方、ありがとうございました。


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小中学生対象「昆虫・生き物体験イベント」参加者募集!(東部サテライト×静大昆虫同好会「虫処」)

静岡大学昆虫同好会「虫処」と一緒に、身近な生きものを見て・さわって・発見しよう!


静岡大学東部サテライトでは、静岡大学昆虫同好会「虫処(むしどころ)」の学生と一緒に、子ども向けの「昆虫・生き物体験イベント」を開催します!

身近な昆虫や生きものについて楽しく学んだり、標本を作ったり、実際に外へ出て生きものを探したり…

「知る」「つくる」「探す」を通して、身近な生きものをもっと楽しんでみませんか?

イベントに向けて、「虫処」が東部サテライトで合宿!

今回のイベントに向けて、8月には静岡大学昆虫同好会「虫処」の学生7名が東部サテライトで合宿を行いました。

合宿では、東部サテライト周辺の田んぼや狩野川で生きものを観察したり、標本を整理したりしながら、イベントに向けた準備を進めました。

イベントで子どもたちに見てもらう標本を選んだり、周辺の自然環境を調査したりと、着々と準備が進んでいます。

★合宿の様子はこちらの記事で紹介しています▼

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そして今回、いよいよ子どもたちを対象としたイベントを開催します!


イベントではこんなことをします!

① 昆虫を知ろう!
東部サテライトの近くには、どんな昆虫や生きものがいるのかな?
写真や楽しいクイズで紹介します。
気になったことは、虫処のお兄さんたちにどんどん質問してみてください!

② 標本を作ってみよう!
昆虫をじっくり観察しながら、標本づくりに挑戦します。
自分で作った標本は、おうちに持って帰ることができます♪

③ 生き物を探しに行こう!
東部サテライト近くの田んぼへ出かけて、トンボや水の中でくらす生きものなどを探してみます。
実際に外へ出て、生きものを探してみよう!

🐞「昆虫・生き物体験イベント」開催概要

日時
2026年10月17日(土)13:30~16:00

会場
静岡大学東部サテライト(伊豆市青羽根65-1)

対象
小学生および中学生

定員
20名(申込先着順)

参加費
無料

持ち物
虫取り網、虫かご(持っている場合)
※自分でつかまえた昆虫の持参もOK!みんなに見せたり、お兄さんたちに質問してみよう

服  装
動きやすい服装・靴、帽子、雨具など

申込締切

2026年10月12日(月)

申込方法
下記URLからお申し込みください。

https://x.gd/GyRAH

※小雨決行。
※イベント中の保護者の付き添いは、あってもなくても可。お申込み時に確認します。
※内容は、天候や状況等により変更となる場合があります。

主催
静岡大学未来社会デザイン機構東部サテライト
静岡大学昆虫同好会「虫処」

後援
伊豆市教育委員会

虫が好きな人はもちろん、「ちょっと気になる」「生きものを探してみたい!」という人も大歓迎です。

静岡大学の大学生のお兄さんたちと一緒に、東部サテライトの周りにいる生きものを探してみませんか?

みなさんのご参加をお待ちしています!🐞🌿



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20260901第1回「東部サテライト公開講座」開催報告

令和8年度静岡大学東部サテライト公開講座 第1回を開催しました。

9月1日(火)、令和8年度 静岡大学東部サテライト公開講座「多彩な視点から学ぶ 伊豆半島の自然と社会」の第1回を開催しました。

本講座は、多彩な専門分野の視点から伊豆半島について学ぶ公開講座です。静岡大学の教員や大学院生、地域の専門家が講師を務め、それぞれの専門分野から伊豆半島の自然や地域社会について講義を行います。

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第1回は、静岡大学教育学部 教授・教育学部長の鎌塚優子先生を講師にお迎えし、「支援者の眼差し―障害を持つ子供たちを地域、学校で支え合う仕組みづくり―」をテーマにご講演いただきました。

今回は、オンラインでのご登壇となりました。

講義では、障害のある子どもたちが地域や学校で安心して暮らし、学ぶために必要なことについて、人権を尊重する視点や、誰もが持つ無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)などを切り口に考えました。

また、教育・医療・福祉などの専門職や関係機関、地域の人々がつながり、子どもたちをみんなで支えていくことの大切さについても学びました。

特に、一人ひとりの「眼差し」が変わることで、相手への関わり方や行動が変わり、その積み重ねが地域の仕組みや地域のあり方を変えていくという視点が示され、参加者それぞれが自分自身の「眼差し」について考える機会となりました。

講座終了後のアンケートでは、講義を通してさまざまな気づきがあったという声が寄せられました。

  • 「『眼差し』という言葉をキーワードに、一人ひとりを大切にすることの大事さを、改めて感じました。」
  • 「『眼差しが変われば地域が変わる。』には同感です。素晴らしい講義でした。
  • 「『無意識の偏見』について、自分自身、偏見をもっているとは意識していませんでしたが、改めて意識してみようと思いました。」

また、「決めつけずに相手を尊重すること、自分自身を見つめ直すことを意識していきたい」、「地域の中で自分ができることを考えながら、行動していきたい」といった声もあり、講義をきっかけに、自身の考え方や地域との関わり方について振り返った参加者も多くいました。

今回は、鎌塚先生の都合によりオンラインでのご登壇となりました。そのため、オンライン受講へ変更された方も多く、東部サテライトでは会場でのオンライン視聴会を実施しました。

ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。


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20260831第4回「伊豆歴史文化大学」開催報告

8月31日(月)、令和8年度静岡大学東部サテライト連続講座「伊豆歴史文化大学」第4回を開催しました。

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今回のテーマは「伊豆の大地とアート」

はじめに、小山真人先生(静岡大学名誉教授・静岡大学防災総合センター客員教授)が「絵画・写真に残る伊豆の大地」と題し、伊豆の自然現象や景観が描かれ、写真に記録されてきた事例を紹介されました。

講義では、地震による地形の変化を記録した絵図や、伊豆各地の地形・景観を写した絵画や写真などを取り上げ、過去の景観や自然環境を知る手がかりとして、絵画や写真を読み解く方法について解説されました。また、江戸時代の谷文晁による絵と現在の写真を比較し、伊豆の大地や景観の変化についても紹介されました。

続いて、片岡勲人先生(東海大学観光学部准教授)が「近世絵画に描かれた伊豆の風景」と題し、江戸後期の絵師・谷文晁が描いた『公余探勝図』を取り上げました。

『公余探勝図』に収められた「柿木村南望」「青羽根村南望」などの絵について、当時の史料や現在の地形、写真などをもとに、谷文晁がどの場所から風景を描いたのかを探る取り組みが紹介されました。

また、片岡先生がこれまで参加してきた青羽根柿木歴史大学での考証についても紹介されました。青羽根柿木歴史大学では、地域の皆さんとともに「公余探勝図」に描かれた場所について、旧道を歩いたり、明治・大正期の写真と比較したり、地域に残る資料を調べたりしながら考証が行われてきました。

「柿木村南望」「青羽根村南望」については、現在も描かれた場所の候補が複数あり、特定には至っていないことなど、これまでの調査で分かったことと、まだ分かっていないことについても紹介されました。

最後に、松本由奈先生(伊豆市教育委員会学芸員)が「近代絵画・写真に描かれた伊豆の風景」と題し、伊豆を写した写真や絵葉書、鳥瞰図、風景画などについて紹介されました。

伊豆ゆかりの写真家である下岡蓮伺や上田彦次郎の作品をはじめ、大正時代の写真集『伊豆鏡』や、伊豆の風景を描いたさまざまな作品を取り上げ、近代以降の伊豆の風景を記録・描写した資料について解説されました。

絵画や写真、地域に残る資料などを通して、さまざまな時代の伊豆の大地や風景について学ぶ機会となりました。

今回で全5回のうち第4回まで終了しました。

次回はいよいよ最終回。
「伊豆の海と災害」をテーマに開催します。



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20260819 静岡大学昆虫サークル「虫処」7名が東部サテライトで合宿を実施しました

8月19日から20日にかけて、静岡大学昆虫同好会「虫処」の学生7名が東部サテライトで合宿を行いました。

今回の合宿は、10月17日に開催予定の子ども向け昆虫イベントの準備と、東部サテライト周辺の自然環境調査、標本整理を目的として実施されました。

 

合宿に先立ち、8月3日には虫処サークル長の小森さんと中込さんが東部サテライトを訪問し、施設見学や打合せを行いました。施設利用方法や調査計画、ライトトラップ実施場所などを確認し、本番に向けた準備を進めました。

アオダイショウ発見‼ 長さを測る様子 

8月19日午後、学生たちは東部サテライトに集合し、まずは事前に提供された標本画像を確認しながら、東部サテライトで保管している標本の整理です。

子ども達が喜びそうな標本を選んでいます。

丁寧に並び替え 展示用10点が完成

午後には、サテライト周辺の田んぼや狩野川を散策し、水生昆虫を観察しました。

ゲンゴロウやミズカマキリなどいろんな生物発見!

タマムシの差入れ?もありました
夏の夜に活動する昆虫を観察しながら、今後のイベントで活用できる生物情報や写真資料の収集を行いました。

今回の合宿では、標本整理や昆虫調査を通じて地域の自然について理解を深めるとともに、今秋に開催予定の子ども向けイベントの準備を進めることができました。

東部サテライトでは今後も学生と地域が連携しながら、伊豆の豊かな自然を活かした活動を展開していきます。

20260821「伊豆未来デザインラボ」開催報告

2026年6月19日(金)、伊豆市狩野ベースにて「伊豆未来デザインラボ」を開催しました。

▶「伊豆未来デザインラボ」とは?
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今回は、地域企業や金融機関、大学関係者などが集まり、座長の飯倉清太氏(静岡大学未来社会デザイン機構客員教授)の進行のもと、それぞれの近況や今後の取り組みについて情報交換を行いました。

【参加者(順不同・敬称略)】
・静岡鉄道株式会社
・加和太建設株式会社
・沼津信用金庫
・株式会社アーティスティックス
・スルガ銀行株式会社
・NTTドコモビジネスソリューションズ株式会社
・静岡大学

当日は、
・地域イベントや交流事業の情報共有
・AIやデジタル技術を活用した地域での取り組み
・学生と地域・企業との接点づくり
・観光におけるデータ活用
・地域資源や遊休施設の活用について

など、さまざまなテーマについて意見交換を行いました。

それぞれの取り組みを共有することで、新たな連携や今後の可能性について考える機会となりました。

今後も伊豆未来デザインラボでは、地域の企業・団体・大学等が気軽につながり、新たな連携や取組が生まれる場づくりを進めてまいります。



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20260727 第31回青羽根柿木歴史大学 「昔の写真からたどる天城の記憶」

昔の写真からたどる天城の記憶

昭和10年頃、天城周辺で撮影された小さな古い写真が残っています。
写真の所有者は青柿大メンバーAさん。撮影されたのはAさんのご主人の叔父にあたる方で、明治20年頃生まれとのことです。その方は当時としては珍しくカメラを所有しており、天城の風景を何枚も撮影していました。
名刺ほどの大きさのその写真を同じく青柿大メンバーのHさんがスキャンをし、画像をパソコンで調整しました。
山歩きが好きで、地域の歴史、ジオについて調べているAさんが、昔の写真と同じ場所で平成29年(2017年)に撮影した写真、さらに現在(令和8年・2026年)の写真を撮り、数々の書籍や新聞などの史料を調べ、資料を作成しました。

古い写真と現在の風景を比べることで、Aさんには色々な疑問が出てきました。
そこで今回から数回に渡り青柿大では、この天城の新旧写真とAさん作成の資料を元に、メンバーの皆さんの話を聞きながら「昔の天城」をたどっていきます。

 

昭和5年昭和天皇行幸記念絵葉書

平成29年撮影 八丁池

かつては賑わいがあった八丁池

天城山の奥深くにある八丁池。
池の周囲が八丁(約870m)あることから名付けられたといわれていますが、実際の周囲は約5丁、約560mほどです。
かつては火口湖と考えられていましたが、その後の調査によって、活断層のずれによって谷の最奥部が窪地となり、そこに水がたまってできた「断層湖」であることが分かりました。
八丁池については、昭和5年昭和天皇行幸の際の絵葉書との比較をしました。昭和5年6月2日、八丁池のモリアオガエルの視察にいらした昭和天皇。その2年後の昭和7年6月2日には、行幸を記念して「天蹕留蹤碑(てんひつりゅうしゅうのひ)」が建立されました。「天皇がこの地に足を留められた」という意味の碑です。
この碑の石は野畔(のぐろ)から、そりに載せて馬に引かせて運んだと伝えられています。

昭和10年撮影 天蹕留蹤碑

昭和37年に八丁池の湖畔に山小屋が建てられましたが、特別保護区であることや昭和の森対策委員会の方針などから、昭和52年に廃止され、約15年間の営業となりました。
当時、山小屋に泊まったことがあるというメンバーによると、宿泊施設には2段ベッドがあり、宿泊料金も安かったそうです。
八丁池の水は飲み水には適さなかったため、山小屋には、営林署の職員が毎日、水を歩荷して運んでいたそうです。
山小屋ができて数年後、八丁池のモリアオガエルが急激に減少。人の手が自然環境に加わったことが原因の一つではないかと推察され、山小屋が廃止された後、モリアオガエルの卵は少しずつ増えていったそうです。

八丁池は冬になると自然のスケートリンクとなったため、スケートを楽しむ人々でにぎわっていた時代もありました。

 

天城山隧道天城側入口 令和8年7月撮影

天城山隧道

八丁池から南へ進むと、天城山隧道、通称「旧天城トンネル」があります。
延長445.5m、幅4.1m、高さ3.15mのトンネルで、平成13年(2001年)6月には、道路部門として初めて国の重要文化財に指定されました。
明治33年(1900年)に着工し、明治34年8月26日に貫通式。天城側と河津側の両方から掘り進め、両方の坑道の誤差は3000分の1だったという記録が残っています。
明治38年(1905年)、トンネルが開通。総工費は103,016円、工事により12名の方が殉職しました。
トンネルには大仁の吉田石が使われ、「切り石巻工法」という石を一つひとつ積み上げる方法で造られました。使用された石は35,000個以上ともいわれています。

「吉田石」の疑問

この石材について、資料には「大仁の吉田石」とありますが、大仁の「吉田」という場所を調べても、石丁場を確認することができませんでした。
吉田に石材屋があり、実際の石丁場は城山の下ではないかとのこと。また、吉田が飛び地だったという可能性も指摘されました。
城山の麓と考えると、小室石、六方石、棒石と呼ばれる伊豆石が候補になりますが、トンネルに使用する石材としては小さいのではないかという疑問も上がりました。
何万個もの石を大仁から運んだのか?という疑問もありましたが、馬力で石材を運んだという資料もあるそうです。
大変な技術を要する石積みですが、石工たちが、どこで作業をしていたのかというと、野畔(のぐろ)だったと考えられているそうです。

左:昭和10年撮影 右:平成29年撮影 天城山隧道天城側

天城を走った最初期のバス

天城の交通を大きく変えたのがバスです。
大正5年(1916年)2月、現在の東海バスの前身となる「下田自動車」が創立。下田自動車は、集合馬車に代わる交通手段としてアメリカ製の自動車「チャンドラー」を導入しました。幌型6人乗りで、4,400cc・6気筒ガソリンエンジンを搭載していました。
当時の天城峠は未舗装で険しい山道だったため、パワーのあるチャンドラーが導入されたと考えられています。
下田~大仁間の路線は、日本のバス史の中でも非常に早い時期に開業した路線の一つで、馬車では約10時間かかっていたところ、バスでは2時間半~3時間ほどに短縮されました。

井上靖の『しろばんば』には、大正8年4月最初のバスが湯ヶ島へ入って時に、村長をはじめ村人たちがバスを迎え、小学生も授業を早く切り上げて街道に並んだ様子が描かれています。
昭和の始めから、バスガイドさんが同乗し、各地の名所の説明、東海バスの唄を唄ったということで、その唄をAさんが歌ってくれました。

写真に写るバスは何型?

今回の古写真にも、天城山隧道を走るバスが写っています。
2台のバスが写っており、車両の前方から煙が出ているようにも見えるため、木炭バスではないか?という話がありました。
写真に写るバスの車種については、現在、東海バスにも問い合わせをしています。

峠の茶屋はいつまであったのか?

もう一つ、出てきた疑問が「茶屋」です。
天城山隧道の南北の入口付近には、かつて旅人が休憩する茶屋がありました。
大正4年(1915年)の記録には、トンネル内が暗かったので、入口の茶屋で提灯を借り、ローソク代を払ってトンネルを通り、反対側の出口の茶屋に返す仕組みがあったことが記されています。
天城の茶屋は、文学作品にも登場しており、明治42年(1909年)の島崎藤村『伊豆の旅』では、島崎藤村、蒲原有明、田山花袋、武林無想庵の4人で大仁から下田へ行った際に、茶屋の老婦と話した様子が描かれています。
そして大正7年(1918年)には川端康成が天城を歩き、『伊豆の踊子』に登場する茶屋のモデルとなった場所を訪れています。
ところが、昭和元年(1926年)の川端康成『伊豆天城』では、北口の茶屋はなくなっていたと書かれています。
このことから、少なくとも明治42年から大正7年頃までは茶屋が存在し、昭和元年には姿を消していたと考えられます。

自動車が通行するようになると、茶屋が担っていた郵便物の交換などの役割もなくなり、茶屋は廃止されたとされています。
また、北口の茶屋の写真は新聞や書籍に載っているのですが、南口のものがなく、探しているところです。

 

左:昭和10年撮影 右:平成29年撮影 水生地

水生地

天城山隧道をさらに南へ進むと水生地(すいしょうじ)があります。
昔は「砂のいり」と呼ばれていた場所でしたが、天然氷が作られるようになったことから、水生地と呼ばれるようになったといわれています。
大正初期から昭和初期にかけて、天城の厳しい寒さを利用し、人工的に天然氷を製造し「氷室」という倉庫に夏の需要期まで保管しておく貯蔵法がおこなわれていました。
冬、深さ50cmほどの人工池に水を張ると、一晩で約10cmの厚さの氷ができ、それを水底へ沈め、さらに新しくできた氷を同じように沈めることを繰り返して厚い氷を作ったということです。
できた氷は滑り板を使って氷室まで運ばれ、オガクズの中に埋めて夏まで保存されました。

平成24年撮影 氷室

平成24年撮影 製氷用の人工池

現在、残念なことに氷室は崩れてしまっていますが、人工池は残っています。
人工池は川の近くにあるとのことですが、氷を滑らせて運ぶのであれば、氷室の位置は人工池より低くなければなりません。
今度、実際に現地を歩いて位置関係を確認しよう、ということになりました。

 

昭和10年撮影 白橋

平成29年撮影 白橋

白橋と松本清張『天城越え』

天城山隧道から約1kmほど手前、本谷川に架かる橋は、松本清張の小説『天城越え』の舞台として知られている白橋(しらはし)です。
小説の中ではさきほどの氷室の「オガクズ」が物語を動かすポイントになります。

寒天橋 短期間の産業が残した名前

天城山隧道を南へ下り、河津川に架かる橋が寒天橋で、昔は「川のいり」と呼ばれていた場所です。
橋の上流に、南伊豆で採取した天草を使って寒天を製造する工場があったことから、寒天橋という名が付きました。
寒天製造を始めたのは、函南町出身の仁田常種氏で、ここで製造した寒天は第1回・第2回の内国勧業博覧会にも出品されました。
しかし、操業開始からわずか5~6年ほどで廃止されたとされています。
短期間の産業だったにもかかわらず、「寒天」という名前が橋の名前として残り、さらにバス停の名前にもなっていることは不思議だ、とメンバーから感想がありました。

 

一枚の写真から始まる天城の歴史調査

古い写真を見ると、「この建物は何だろう」「このバスは何型だろう」という疑問が生まれます。
今回の新旧写真比較は、単に昔と今の景色を比べるだけではありません。
Aさんが史料から調べたことに、さらにみなさんから話を聞くことで、失われつつある天城の歴史をもう一度たどる試みです。
これから数回に渡ってこの天城の新旧写真比較をおこなっていきます。