静岡大学東部サテライトだより

静岡大学東部サテライト「三余塾」の記録・お知らせ

20240722 第6回青羽根柿木歴史大学

お宝発見なるか!矢積平を調査

去る1月30日、狩野城付近に新しい城館遺構を発見したという東海大学院生の鈴木晃太朗さんの案内で青羽根柿木大学のメンバーとその場所を踏査しました。この場所(「松ヶ瀬の城山」と呼ぶ)について鈴木晃太朗さんが「中伊豆周辺の城館分布に関する試論」という題名の論文を執筆し、2024年7月刊行の静岡古城研究会「古城」67号に掲載されました。

skk-noroshi.jp

7月22日の青羽根柿木大学では、まずこの論文を紹介しました。文章中に出てくる「松
ヶ瀬の城山から土肥への道」というところにみなさんの興味は集まり、松ヶ瀬の稜線を通って土肥へ行く道、狩野城の横、柿木を通って土肥へ行く道、出口を通って船原から土肥へ行く道という3つの候補があがりました。

1月30日、松ヶ瀬の城山の踏査の様子

論文の最後には、「現状保存を図るためにも遺跡として周知されていくことが望まれる。」とあり、青羽根柿木大学としても何かできることはないかと思っています。

辻本先生が柳田國男の「七塚考」を紹介

前回、フィールドワークで行った「七人女ろう」

toubusatellite.hateblo.jpなど、地域で伝承される話に「七」という数が多いことについて、民俗学が専門の辻本先生が、大正4年民俗学者柳田國男が発表した「七塚考」を紹介し、七人女ろうとの共通点、相違点についてをお話いただきました。
全国各地にある「七」塚の共通点は、「村境」において人が殺されたということ。七人女ろうは殺された場所ではなく一時的に隠れた場所だが、殺された場所は村境にあたり、こちらは柳田考と一致するということでした。
七という数字が北斗七星の信仰(妙見信仰、中国道教)につながるのでは?という柳田考から、かつて狩野氏が元々拠点を構えていたとされている日向地区に春日神社があり、春日神社は星を祀る神社である(?)ことから北斗七星の信仰関係しているのでは?という推測があがりました。
青羽根には「狩野七塚」があったとされ、2つが現存していますが、この七塚は、今回の「七塚考」との類似点は見受けられないという話になりました。

3月18日のフィールドワークの際

toubusatellite.hateblo.jp龍爪神社の奥、「矢積平」という地名からも、狩野氏の時代に弓矢の教練場として使用していたのでは?という堀があったのですが、さらにその奥に盛土と堀切のようなものがあったことから、弓矢の的を置いていたのでは?と予想をし、時代的に矢じりは金属製と思われるので、金属探知機で付近を調査。反応がなく残念でしたが、「もしかしたら地中深く埋まっているのかも…」と諦められません。枯れ葉を除去して、再度みんなで調査をする、といったイベントがあっても面白いと思いました。

調べずにはいられないこの地形