静岡大学東部サテライトだより

静岡大学東部サテライト「三余塾」の記録・お知らせ

20240617 第5回青羽根柿木歴史大学「七人女ろう」の岩穴へ

偶然にも「七人」の女性メンバー

地域が誇る資源である狩野城について学ぶことから始まった青羽根柿木歴史大学。
狩野城の落城は二度あり、一度目、城主が狩野茂光だった1180年の落城の際、城に残った7人の姫たちが、裏手の山へ逃げたものの捕らえられて殺されてしまい、そのときにそれぞれ姫たちが抱いていた鏡が祀られているのが大平柿木にある「柿木魂神社」であったという話が伝わっています。この時に7人の姫たちが山中で身を隠したと言われている岩穴が、青羽根の龍爪神社近くにあるということで、以前から行ってみたいという話を歴史大学のメンバーでしていました。

途中危険な箇所も。ガイドさんとの踏査を推奨します。

山中の沢沿いにあることから、個人で行くことは危険なため、まずは地域の山歩きに慣れているメンバーが下見。行けると判断をし、場所を知っているガイドクラブの方の案内で、希望者で行くことになりました。
長くつと軍手、長袖、長ズボン、トレッキングポールで装備はバッチリ。狩野城跡の南側の道路から、山中に入り、シダの茂る杉林の中を川沿いに上っていきます。

青白いサワガニは珍しい?

途中、沢山のサワガニがいましたが、青白いサワガニは全国的にみると珍しいとのこと。赤ちゃんサワガニは茶色でした。
所々で休憩しながら40分ほど歩き、お目当ての岩穴に到着。確かに7人の大人が入れるくらいの大きさで、ちょうど女性が7人参加していたことから(笑)早速入ってみました。

お目当ての「七人女ろう」の岩穴発見

ここで一人のメンバーから、自分が以前に山歩きをして見た「七人女ろうの岩穴」とは違うかも…とのこと。再び、踏査の興味が湧きましたが、今回の踏査で思ったのは「山へは決して一人では入らない、慣れた人、ガイドさんに案内をお願いした方がよい」ということ。近くでは滑落事故も起きており、安全対策はきっちりとしないといけないと思いました。来た道を下山し、サテライトに戻ってお昼を食べたら午後は座学。

地域の方が講師となって、まずは「古文書」を読む練習から。この講師のメンバーの方も、ご自身の家にあった古文書を自分で読めるように勉強をしたことから、その楽しみをみなさんに知ってほしいということです。
大塩平八郎の乱の手配書(御触書)を読んでいたところ、話は「御坊の書、五榜の掲示」の話に。近くのお家に御坊の書が書かれた板が保管されていたという話で盛り上がりました。
また、明治39年にこの地域から海外に研究や労働のために行った人のリストの中で知っている人がいたら教えてほしいという話の中で、伊豆の国市大仁の「ぜんな(自然食レストラン)」に医学博士である沼田勇先生の記念室があり、そこに資料があるかもしれないという話になりました。
この日はほかに、伊豆市下船原にある宝蔵院の話や、旧墓埋葬禁止令の話から「コレラ墓」の話、石仏の話から道祖神鬼子母神の話と、一つトピックがあがるとそこから色々な話に派生していきました。

この会で度々話題にあがり、フィールドワークもおこなった伊能忠敬測量隊の歩いた道。地形に合わせて歩いていたので、当時の地形が見えてくるということから、地図の原板の話になり、小火で焼失といわれたものがアメリカで発見され、スタンフォード大学が公開しているということで、驚きました。(スタンフォード大学 古地図 とかで検索するとヒットします。)当時、測量隊は六分儀を持っていることから馬を連れているが、天城峠をどのように越えたのか、という話でも盛り上がりました。

午前中に行った七人女ろうの岩穴。七という数、ちょうど女性七人が入れるような岩穴、落城という史実。こうした史実と地形、自然現象が伝説や民話として残っているものは全国にあるということで、次回、民俗学が専門の辻本先生からそうした全国の類似民話について紹介をいただくことになっています。次回も楽しみです!